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「従業員の茶髪・ピアスOK」は本当にいい職場なのか…日本企業に蔓延る「多様性もどき」にモヤモヤする理由
私たち大人が意識すべきなのは「本当の意味での多様性を育む環境づくり」です。違いを認めて伸ばす技術を学びつつ、社会や組織で求められる基礎的なルールやマナーをしっかり教えること。自由と秩序がバランスよく組み合わさってこそ、未来の世代は本当の意味で「自分らしさ」を発揮できるのではないでしょうか。
何でもありで子供を育てることは、大人となった際の弊害を問題視することは大切だとは思う。
昭和の雁字搦めの腐れ教育で、右向け右で一斉に右を向かせる、強制的に右を向かせる腐れ時代の反動で、今現在の親は、子供の意思をとても大切にする。
それは自身が子供の頃に昭和のバカ親から強制されたことを絶対にしないと言う姿勢の表れでもある。
昭和の強制的な子育て、教育が良いのか、昭和時代を否定した子育て、教育が良いのか、そんなものに答えなんか存在しない。
時代は令和なのに昭和的に厳しく育てたからこそ、人格者と成長する子供もいる。
時代は令和なのに昭和的に厳しく育てたからこそ、サイコパスに成長し、罪を犯す子供もいる。
時代は令和だから昭和的な厳しい育て方を否定し、子供の意思に沿った子育てをしたからこそ、時代を引っ張る人物へ成長することもある。
その逆に時代を震撼させる大事件を起こす者もいる。
教育や子育てに答えはない。
したがって、個性を大事にする、個々のやりたいことを尊重するという意味の多様性が必ずしも悪いわけでもなく、茶髪でピアスOKの職場だからこそ、働ける人達もいるわけで、黒髪で、化粧にも制限があり、髭もNG、あれもこれも雇い主の感覚で決められる昭和的規律が必ず良いという訳でもない。
昭和、平成と進んで令和に来て日本のこの仕上がり。
昭和や平成時代はクソだと個人的には思っている。
頭が悪過ぎると強く感じる。
多様性を大事にする時代であれば、個々の考え、格好も得意分野も生き方もすべて尊重してはじめて多様性を重視する、大切にすると言うことだけど、現在の日本はそうではない。
まだまだなんちゃって学歴社会、ボンボン優位社会の腐れ社会でいる。
多様性云々の前に、学の歴だけで人間をはかることをまずは止めなさいと言うこと。
スポーツが得意、イラストが得意、歌が得意、面白いことを考えることが得意など、人にはそれぞれの得意がある。
その中で学が得意とするものだけ、社会的評価される、頭が良いと判断する頭の悪い価値観、そろそろ終わりにしないとね。
その頭が良いとされる者達が国家の重要ポストについて、日本は国家運営されてきて、現在の日本はどうなった?学歴だけエリートが権力を握って、多くの国民、幸せになった?経済も良くなった?国民の幸福度も上がった?
答えは出てる。
学が得意な人間、テストプロの人間は、ただ、学が得意でテストが得意なだけで頭が良いわけでもなく、国家運営に適しているわけでもない。逆に人間的につまらんし、共にご飯食べて飲みに行ってもつまらん人多いけど?要するに人間的魅力がないのよね。
だから学歴エリートってモテないでしょ?そりゃそうよ。つまらないもの。人間的魅力ないものが、人間力がないものが、多くの国民を幸せにする国家運営なんか出来やしない。それは現在の日本で証明されている。
明治のバカどもが西洋真似て築いてきた腐れ社会システムは、日本には当てはまらないと言うこと。
日本は技の国。国民一人一人が何かしら得意があり、その得意を伸ばして行き、その得意で生計を立て、世界で活躍することも可能とする。
スポーツ選手やクリエイターがとっくに見せてくれてるでしょ?
学の世界の大谷翔平さんのような方一人も知らないけど?
その業界のトップに立ち続けて、活躍し続ける、世界の舞台でその業界の顔となるがり勉いないでしょ?
なのにこの国は学歴社会を進めてきたの?
バカじゃん。
世界でトップを取れる、その業界を引っ張っていける日本人の「技」を武器に世界で活躍することが何より世界をリードすることに繋がることをスポーツ選手をはじめ、クリエイターでもそうだけど、子供の頃から自身の得意を見つけて、その得意を武器に世界で活躍されてる方がこれだけ出てきている。
サッカー選手もスゴイわよね。ゴルフやテニス、スケートなんかでも大活躍されてる方々がとても多い。
幼い頃に、自身の技を見つけ、技を磨き、その技を武器に人生を歩んでいく。
これがこれからの日本人のあるべき姿。
この国が推し進めていかなくてはいけない子育てと教育なのよね。
そこには昭和的な厳しい指導もあるかも知れないし、令和的な野放し子育てや教育も活きるかも知れない。何が答えかなんて人それぞれで異なるわけで、答えはない。
これが正しいと断言して、一つの手法、子育て法、教育法をあたかも正解のように共通認識を持たせようとすることがすでに多様性を崩壊させていると感じる。
子育てや教育に答えない。
だからこそ、世界で活躍される人が現れた時、ご両親は称賛される。
逆に世界を震撼させる事件を起こすような人が現れた時、ご両親は同罪として避難される。
雲を掴もうとする作業を子育てや教育だと考え、こうあるべき、こうするべきは絶対にあってはならない。
明治のバカが制定したように、学が得意は頭が良いと言うことも決めつけるべきではない。
学が得意な人間ほど、社会オンチ、人間オンチの生き物はいない。だからこそ遊び部分ではつまならさが全快すると思う。
そのような人間が価値があるとした時点で、日本は崩壊に向かったと思う。
明治時代ですでに、この国の崩壊は始まったと言うこと。
過去をぶっ壊した明治時代。新たな時代を築こうと当時のバカどもは活きっていたと思うけど、その行為こそ、日本のすべての終わりの始まりだったと感じる。
まだまだ書きたいことはあるけど、一冊の本にでもしないと書ききれないので、この辺にしておくけど、サービス業で茶髪OK、ピアスOKは企業判断であり、それを良い悪いを評価するのはその企業のサービスを利用する客であるわけで、それ以外の方々は、横からああだこうだ言うべきではない。
茶髪でピアスしている店員が世界一のサービス提供、接客を見せてくれるかも知れないし、それはサービスを利用した客が決めること。
自由で悪いこと、デメリットはあるかも知れない。
しかし、自由だからこそ、伸び伸びと自分らしさを表現しやすくなることも事実としてあるわけで、どちらが良い、悪いはないと考える。
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