日本中で不登校の子が増えている


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本当の原因は「いじめ」や「友人関係」ではない…日本中で不登校の子が増えている構造的な要因
なぜ不登校の子どもが増えているのか。不登校の子どもを平均3週間弱で再登校に導く独自プログラムを提供するスダチ代表の小川涼太郎さんは「一般的にイメージされている『いじめ』による不登校は0.2%。大半は『なんとなくだるい』『なんとなく不安』という理由がはっきりしない不登校で、その背景には正しい親子関係が築きにくい社会構造上の問題がある」という

昭和のバカ時代のように、暴力で子供達を無理やり学校へ通わせることが不可能となった時代だからでしょ。

昔から賢い子供達は向き不向きに敏感で、学校と言う制度、システムには合わないと感じ、不登校となる。
昔も今も変わらない。

昭和のバカ時代であれば、学校へ行きたくないと子供が駄々をこねたら力づくでも親や学校のバカ教師は暴力を振るってでも学校へ無理やり行かせた時代があった。
将来の子供の為と言う固定観念の元、暴力が許されていたバカ時代。

暴言、暴力が良いわけないけど、昔のバカ人間どもは暴言や暴力を良しする頭の悪さ。

今の時代、子供を押しただけでも親は逮捕される時代。
不登校の生徒が増えることはごく自然のこと。

がり勉が考えた教育カリキュラムなんか意味がない。
自分には向かない。
それを子供ながらに理解出来ている。

無理やり学校へ行かされること自体嫌気が差す子供もいる。

そんなことはお構いなしに、学だけバカのがり勉が教育カリキュラムを作り、それに沿って無駄なに9年間を過ごさなくてはならないという制度が不登校の理由よね。

不登校の子供達には得意がある。
まったくない子もいるけど、何かしら楽しいと思えるもの。集中できるものがある。

それは学校では実現できないこと。学べないこと。
だから学校へ行くことは意味がない。と感じ、学校へ向かう気持ちすら湧かない。

当然のことよね。

不登校児を無くしたいなら、子供達それぞれに沿った教育システム。
将来の稼ぎに直結するような教育システムに変えること。
それが出来ないなら学校制度は廃止で良い。

なんら意味がない。
例えば、野球が得意な子供がいる。
日々野球を練習しながら、鍛えながら、スキルアップしながら、道徳や人間関係の構築を学習すればよい。

パソコンが得意ならプログラミングを学びながら、仲間とのやり取り、自己表現、相手の意見を受け入れるなど、コミュニケーション能力を高めることを覚えたら良い。

得意があって、その得意を極めながら人間として生きる上で、社会秩序を保つ上で必要な道徳を学ぶ。
それが私が考える教育課程。

がり勉のバカどもが考えた教育カリキュラムはあくまで形だけでまったく将来に役立たない。

子供の頃の9年間。とても大切な9年間。
この9年間が将来を分けるという大切な期間で、無意味ながり勉が考えた教育カリキュラムを形式的にこなすことの意味がわからない。

その9年間で子供の得意を見つけ、その得意で将来食べて行けるように、稼げるように、活躍出来るように、子供の頃からスキルを磨き続けること、同時に社会人として生きていく為の基本的な読み書きや人間関係を覚えたら良い。

なぜそのような教育カリキュラムに制度設計をみなさないのか。全く持って意味不明。

やはりがり勉のバカとボンボンが評価されるフランス譲りの社会システムを真似たことがこの国を腐敗へと導いているなと思う。

島国は島国特有の習性がある。島国の人間達の生き方、成長過程がある。

他国が学の歴社会で上手くいってるから縦長島国も同様にって進めた結果、現在の日本の仕上がり。

学の歴社会を進めてきたくせに、がり勉会の世界トップは一人も出てこない。
スポーツの世界。芸術の世界。クリエイターの世界では業界を引っ張る日本人多くいるのに、がり勉会と芸能界では一人も世界のトップに立てる日本人はいない。

もう答えは出てるでしょ。
世界で日本人が台頭するには、特技を磨き、技を磨き、得意で個性を発揮して生きていくこと。
それしかない。

学ではとてもじゃないけど、世界で活躍することはスーパーサブまでいけてもトップは取れない。
トップが取れないものを国家運営での教育の軸、人間評価の基準とした明治のバカどものおかげで、現在の日本に仕上がったと思う。

明治のバカタレどもに責任を取ってもらいたいかなと素直に思う。

これからの子供達は不登校で大いに結構。
好きなこと、得意なことを伸ばし、スキルアップして、将来の稼ぎに繋がるよう頑張って頂きたいと思う。

ガンバレ日本の子供達。
がり勉とボンボンは引っ込んでろと言うことね。
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