「死ぬ権利」フランスで議論が進んでいる背景



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「死ぬ権利」フランスで議論が進んでいる背景
5月以降、フランス国民議会は「死の自発的幇助」を可能にする法律、すなわち人の人生の終わりを積極的に支援する枠組み作りについて議論してきた。フランスでは中絶や死刑といった他の論争の的となるトピックは決着がついているが、今後数年は人生の終わりが論争を呼び続けることは確かだ。

フランスの真似事で社会構築をしてきた日本では一切死ぬことへの話し合いはなされていない。民間人同士ではあっても政府がこのような話をするわけもない。

ただでさえ人口が減少している中で、死と言うものから遠く離れる考えしかないことは当然だと思いますが、国民の生きる苦しみと言うものを政府は理解していないと言うことですよ。

明治時代、なぜフランスからさまざまな社会システムを参考にしたのか。フランスがやってることを隅々まで真似できないのであれば、学歴社会、資本主義の仕組みなども含めて、猿真似は止めた方が良かったですね。

日本は日本独自の社会システムを構築していくこと、国の個性、国民一人一人の個性を大切にする社会システム、教育システムが正しかったと思います。

大国を真似て、学歴社会を真似て、向き不向きなどは関係なく、学問が得意な人間を評価する、価値があるとする社会システムにしたことで、日本人の個性は潰され、個々に持ってる得意は活かされず、学問だけのつまらない人間、デスク上だけで考えたことを大々的に発言する人間が増え、個性がない、実行力がない人間が増えた結果、日本は衰退の一途を辿っていると感じます。

この国は大国ではなく、小さな島国。
だからこそ、国民一人一人の個性と言うものを大切にし、個性を伸ばし、その個性こそ、生きていく為、稼ぐ為、活躍していく為の武器になると感じます。

その個性を潰し、学歴だけで人間を評価するシステムをフランスから持ち帰った頭の悪いあいつのおかげで、日本は明治からバカ時代に向かって少しずつ歩み、第二次世界大戦を経て、独立国と言うものからアメリカの舎弟国となり、今現在があると思います。

国の舵取りを誤ることで、国自体が崩壊する方向へ進み、国民は誤った知性のまま人生を歩み、自身の得意すらも活かせない一生を過ごすことになる。これが、これまでの日本の社会通念。
だからこそ、今現在の日本に仕上がったと思います。

こんな日本では、日々死にたいともがき苦しむ人が多くいます。生きるに苦しんだことのない政治家連中が法律を決め、その法律の下、国民がいる。

生きることに苦しみを感じたことのない連中が、生きることに苦しんでる人間を助けられるわけがない。しかし、明治時代からフランスから持ち帰ってきた社会システムでは、お金持ち環境で生まれた人間、二世や学問だけ得意な人間達が価値があるとされ、国の重要なことを決められる権限が与えられる仕組み。

この仕組みで明治からこれまで日本社会は進んできて、この現状。正しかったのか、間違っていたのか、答えは出ているともいます。

個性を活かすこともそう。死にたいと思う気持ちを理解することもそう。個性、個人を尊重すること、憲法に記載されているだけではなく、実際に、社会通念で個人の尊重、個性を伸ばすと言うことが明治時代から進められていたら、日本は世界でトップの経済力、軍事力も手にしていたと思います。

もう無理ですけどね。一歩目で誤った方向へ行き、その誤った方向を正すことすらできなかった結果、現在の日本なので、もう手遅れですね。
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