新1万円札 韓国の光復会が撤回要求



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「日本、1万円札に植民地収奪の象徴を使うとは…」韓国の光復会が撤回要求
日帝強占期に日本の銀行を朝鮮に進出させ、植民地政策を主導した渋沢栄一(1840~1931)の顔が日本の新紙幣に使われることについて、韓国の独立運動家と子孫・遺族の団体「光復会」は強い遺憾を表明し、直ちに撤回するよう求めた。

この会としてはアクションを起こすことでアピールでしょうね。
いろいろ捉え方があると思います。

個人的にはフランスから経済の仕組み、株式会社の仕組みなどと同時に、学歴バカ社会までこの人が持ち込んだではないかなと思っているので、あまり評価は出来ません。
ただ、学問だけで人間を評価することを明治の国民に浸透させた諭吉よりはまだマシかなと思います。

人間には得意、不得意と言うものがあり、学問が得意な人間もいれば、スポーツを得意とする人間もいる。そのどちらも苦手で絵を描くことが得意とする人間もいれば人はそれぞれ。

そのことを理解せず、学問こそ、人間を評価する基準として日本に広め、現在の日本を見た時に、学歴だけで人を評価する社会システムが良かったのかどうかははっきりと示されていると思います。

薄情な人間が増え、悪質な犯罪が多発し、自分さえ良ければ良いと言う日本人がとても増えました。

大国の真似事で社会の経済システムと作り、学歴社会も他国の真似事。結局行きついた先は衰退する日本国。

これからどうなっていくでしょうね。
パンデミック辺りでほとんどの日本人は生きる為に何が大切か、人を評価するには何が重要なのか、気付いてきたので、それに気づかずに昔ながらの人間評価をしている組織や人達は今後はどん底に落ちていくと思います。

人間の評価と言うものは、人間性、人間力、調和や協調性などから判断出来るものだと思います。

金持ちのボンボンだったり、学歴があるだけで何も評価に値しない。
ラッキーなだけでたまたま得意なだけであり、それだけで価値があると評価しようと決めた明治のバカ連中のおかげで日本は独自の国家運営が出来ずに、大国の真似事で社会を構築し、アメリカに戦争でも負け、ここまで日本が衰退してきました。遣り切れない思いです。

一つの得意でその人を評価することはナンセンスだと思います。

そういうことから、個人的には福沢よりは渋沢の方が良いとは思いますが、それでも、なんだかなぁ~と言う気持ちがあります。

1万円札は富士山など、日本を象徴する人ではなく、自然で良いのではないでしょうか。

新1万円札を渋沢にしようと決めたのは、パンデミック時、初めて給付金が出る出ないの際に、「給付金が貯金に回されない保証はあるのか?」と偉そうに抜かした自分の幸せ追求型政治家を代表するようなじいさんが決めたらしいですが、終わってますね。
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